長崎3年目の夏です。
こんにちは。
いよいよ4年に一度のスポーツの祭典、オリンピックが始まりました。
前回のロンドン大会の時、「次のオリンピックの時は大学三年生かぁ~」
と、
遠い未来の事のように思っていたことを覚えています。
意外に近すぎました。
頑張れ日本選手団~~~!
今日この日に神経を研ぎ澄ませて、
考えなければならないことがあると強く感じます。
71年前に起こった惨劇です。
私は別に啓蒙的に何かをしたいわけでは無くって、
本当に大切な事とはなにか、日本人として潜在的に持つ心を
大切にしたいと思っているだけです。
これも後付けになりますが、長崎に来た理由も
こういった巡りあわせがあるのかなぁ、とも思います。
確かおととしの夏、友達と自治体主催の原爆展に行った時です。
そこには何名かの、語り部さんと呼ばれる方々がボランティアをしておられました。
やはり、実際にその時代を生き抜いた方の口から発せられる言葉は、
ひとつひとつが心にズシンと響くものがありました。
これまでの小中学校を通して平和学習をした経験があるという人は
少なくないと思います。私もその一人です。
しかし正直、そこには何となく受け身な姿勢があって、
ただ”戦争は怖くて恐ろしいものだ”このイメージに限りました。
しかしその出来事の延長線上に自分達がいる、という
漠然としているような、はっきりしていうような、
関係性やつながりを感じた時、衝動に近い責任のようなものを感じました。
目の前で、たった私達3人のために、本気で、涙をぽろぽろと流しながら
「お願いだから、同じ過ちを繰り返さないでほしい。」と
か細い声で、しかし確固とした様子で訴える姿を目の当たりにしたときは、
私にとって静かな衝撃でした。
この人たちはこんなにも必死なんだ、と。
戦争経験者と目と目を合わせ、同じ空間で会話を交わすことは
実はもう明日には起こり得ないことなんじゃないか、と。
ここに来るより以前は、こうして毎年夏がくるたび
考えてみるだけの過去の歴史でしたが、
街には平和公園、ともだちには被爆三世世代もいて、
また九州は戦争末期に戦力が結集されていたからか、
地方なのに遠近親族がそういった境遇に、という
お話しを伺うことが多いように感じます。
そういった記憶を残し示し続ける要素が、日常にあるのも
この今私が住む場所ではないのかな、と思います。
しかしどうしても、
こういった話題は少し暗くなったり、重くなりがちで、事実起きたことを知るのは大切ですが、なかなかアプローチは難しいです。
しかし日常の一片として、今の風景と一緒に切り取ってみると
街の新たな一面や風情を見つけられるんじゃないかと思って、
最近は汗だくになりながら、カメラを片手に
街を歩き回ることがブーム?です。ポケモンGOではなく。
夏の長崎、すごく映えて見えます。夏のもや〜っとした空気でさえも。なんでか分からないけれど。
坂道は相変わらず、随一の発汗ポイントです。
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