祈りのまちに住む

こんにちは。

今日実家から荷物が届きました。

野菜、野菜、そして野菜。新鮮な彼らが詰まった、

「田舎からの荷物」という言葉が一番似合うひと箱です。

ひときわ大きいトマトはおばあちゃんから。

ハートウォーミングとはこのこと。





私の愛読雑誌のひとつ、

「nice things.」(ミディアム)さん。

写真と文章の割合といい、構成といい、

文字のフォントといい、

私の中の読みやすさというものを変えた、

私の教科書であり、

時間をかけてじっくり読みたい雑誌、です。

その七月号をぜひみなさんに手に取って頂きたいんです。

というのも、”訪ねたい場所”というのが特集で、

誌面だけで居心地の良さが伝わるような

全国各地の場所たちが紹介されています。

今までの私の経験から、大手さんの雑誌をみていると、

確率的に都内の情報が中心だったり、

どうせ行けないやぁ~

という結末に終わることが多かった気がするのですが、

本誌は特集のいっちばん最初から、

長崎の離島や県北部にある小さなまち

について綴ってありました。

瞬間瞬間をとらえた鮮明な写真たちが並び、

その中でひときわ目をひいたのが、

長崎の教会をおさめた一枚でした。




”怒りの広島、祈りの長崎”

約70年前の惨事を語る上でよく使われるのがこの言葉です。

この”祈り”という空気が根付く長崎には、

みなさんのイメージ通りキリスト教が深く関係していると思います。

教会の数は全国的に見るとあまり多くないのに

(人口比率からすると多い)

信者の数は東京に続き全国第二位なんだそうです。

(それってすごいです)

たしかに思い返せば、聞けば友達がキリスト教だった、

という経験は、長崎に来てから初めてでした。

本当にけっこういます。

いたたまれませんが人生で初めて、

キリスト教の葬儀に参列したこともあります。

教会建築ってまた違う威厳みたいなものがあって、

入ると静かに「おぉ。。。。。」と呟いてしまいます。

はたまた一歩出ると見慣れた、普通の、日本の、街角。

不思議でした。

商店街の奥に天主堂


大学1年生のとき、フィールドワークの一環で

教会の牧師さん(おそらくすごく偉い人だった)と

お話しをする機会があったのですが、(しかも国宝の一室で)

長崎の人と教会の繫がりを見つけようという課題のもと、

その関係性について質問した際、

「そうですね~あまり、というか、ほぼないですねぇ~」

とおっしゃったのを覚えています。空気が一瞬焦る。

しかしこれも事実で、信者の方と、観光客以外で、

地域の方との交流はほぼないのが現実の様です。

たしかに、というか宗教が私の日常生活に及ぼす影響はほぼ皆無で、

私の中で長崎=キリスト教というイメージが強すぎて、

長崎の人たちも、それは同じたい、ですよね。

なんだなんだ、今日は宗教の話しなのか、

と思われたかもしれませんが、

わたしも宗教は得意な分野でも、好みの分野でも何でもなく、

(留学中はけっこう話題にあがったけど、タブーでもあった)

ただ長崎は大きな歴史がいくつも動いた場所であり、

その要所要所で宗教と繫がりの深い地ではあるとおもいます。

その延長線上に私たちが生きているのも事実です。

最初にのべた”祈る”というスピリットも、

その名残が気付かないところで浸透しきっていて、

醸し出されるものだと思います。




といいつつ私はまだよそ者で、にわか県民なのですが、

県外出身者だからこそ感じる空気があると思います。

わたしから言わせると、この日本の西端に、

こんな多文化多国籍な場所があったのか、

とびっくりでしたけどねぇ。

他の県はどうなんですか?

お盆に爆竹を鳴り響かせながら、

ザラメが美味しい西洋菓子を食すんですかね?

友達も(歴史好きは特に)長崎いきたい~

と言ってくれるのですが、まあ距離はありますし、

なかなかみんなタイミングが難しいようで。

みなさん待ってますよ~!雑誌にも載ってましたよ~!


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